昨日の続きです。
長崎2日目の午前中は自由行動、午後は「軍艦島クルーズ」です。
ホテルの朝食を済ませてチェックアウト。ホテルから妹の家まで歩いて行きました。
「ネイティブ長崎弁」炸裂の家族の会話に、「あれはどういう意味か?」とあとから娘に訊かれたりして。(;^_^A
その後ホテルに集合して、長崎港へ移動。「軍艦島クルーズ」の船に乗ります。
半袖でもいいくらいの陽気で、クルーズ日和。
私たちと同じような団体客や外国人の方で満員でした。
午前と午後、それぞれ一便ずつ出ているようです。
長崎港から港の出口を見た風景。
大型客船も通行できる高さに作られた「女神大橋」が見えます。
私は軍艦島2度目なんですが、その頃は上陸不可でしたので、船で島の周りを一周して海から見ただけ。
その後、世界遺産(明治日本の産業革命遺産の中の一つ)に登録されて、島に桟橋が整備され、海が荒れてなければ上陸できるようになりました。
機会があれば、一度上陸してみたいと思っていたので、今回叶ってよかったです。
クルーズはお天気にも左右されるので、たとえチケットが取れても、予定通りいかないこともあるようですが。
軍艦島を舞台にしたドラマで人気が再燃して、チケットも取りにくいらしいですよ。
そういう手間も、ツアーなら安心ですよね。
長崎港から沖のほうへ30分で軍艦島へ。
造船所や女神大橋、岬の教会など、景色を楽しみながらのクルーズです。
波も穏やかで揺れも少ないです。気持ちいい~。
だんだんと軍艦島が見えてきました。
島の東側に船着き場があります。
船着場から見える廃虚・・・
東側は、炭鉱そのものの施設や、運搬のための設備が主ですね。
上陸して、見学用に整備された通路を進みます。
3カ所立ち止まって、ガイドさんが島の案内をしてくださいました。
軍艦島の歴史や暮らし・・・とてもわかりやすかったです。
雨風にさらされて、日々朽ちていく構造物。
直に見ると、何とも言えない気持ちになります。まさに「栄枯盛衰」。
セメントがなかったので、漆喰のような中国渡来の方法で煉瓦などを積んで固めたそうです。
昔の人の知恵ですね。
やはり海風や波で劣化は激しいです。
島の南側を歩いて回りながら見学。
炭鉱施設側から移動すると、居住区が見えてきます。
見学できるのは、このあたりまで。
これ以上の先は、いつ崩れてもおかしくないようで、建物の間も狭そうでした。
危険で一般は立ち入れないようです。
当時は、世界一の人口密度だった端島。(=軍艦島は呼称)
危険な労働に見合ったお給料は、当時としては破格の高給だったそうで、TVの普及率も100%だったとか。(一般的には2割程度の普及率の頃)
石炭の時代が終わり、閉山になり一転。島民は島を出ていき、ここは無人の廃虚になりました。
私が小学五年生の時です。
島から転校生の子もやって来ました。50年ほど前の話ですね。
子どもだったからわからなかったけど、当時はご苦労もあったんだろうな。
見学が済んで、船に戻り帰路へ。
その頃には悪天候になり、ちょっとびっくり。
これは島の南側から見た姿。
この構図が戦艦そっくりだと、「軍艦島」と呼ばれるきっかけになったとか。
船は南から西側を回ります。
もうその頃には、海は荒れて高い波が船体を打ちつけて、怖いくらいでした。揺れもすごかった。
(船酔いしそうだったわ)
波しぶきで、窓がびちゃびちゃで、揺れるし、カメラのピントが合わなくて困りました。
天気が悪いと島も真っ黒で不気味な雰囲気・・・往路とは大違い。
同じ日(2時間ほどの間ですが)に撮ったとは思えない画像ですよね。(;^_^A
こうして軍艦島とはお別れです。
日傘・雨傘NG(雨が降ったら、雨合羽で見学だそうですよ)、飲酒してたら上陸できない、など・・・制約があることも、添乗員さんから説明を聞いて知りました。
保存も難儀なことだとは思いますが、産業の歴史の一端を語る島として残ってほしい遺産ですね。
この見学で、長崎の旅はおしまいです。
バスで広島へと帰りました。

















コメント
コメント一覧 (2)
あのドラマは、軍艦島の歴史や暮らしがよく再現してあったと思います。
廃虚にも、コの字型の鉄筋アパートがあり、当時は多くのご家族が暮らしていた様子が、ドラマでよくわかりました。
以前は上陸できなかったんですが、船着き場や歩道が整備されて、上陸可能になりました。(許可のある船会社のみだと思いますが。)
初めて上陸しましたが、歩いてもそう広くない島の中は、当時は世界一の人口密度だったそうで、その時代とのギャップに何とも言えない気持ちになりました。
maco
が
しました
上陸されたんですね。
グラバー園、中華街、そして軍艦島、私もmacoさんの長崎旅行を満喫させてもらっています(笑)
maco
が
しました