今日は広島原爆記念日。
2月にロシアがウクライナを侵略するという衝撃的な出来事があり、それがまだ終わる気配がない。
核をちらつかせて脅し、自分以外の血が流れても、心が痛まないのでしょうか。
何の罪もない人たちはもちろん、自国の兵士だって、多くの若い人が命を奪われるというのに。
いつになったら「歴史に学ぶ」や「命の重さ」を、心からわかる時がくるんだろうかと思ったりします。わかっていて、自分たちさえよければいいという考えで行動しているのか。自分たちは安全なところにいて、命令を出し、ボタンを押す・・・おかしな話。
憂いることも多い情勢ですが、復興に尽力してきた方々のおかげで平和に暮らせている今に感謝です。
だからこそ、つないでいかなければなりませんね。
コメント
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私は長崎で生まれ育ち、結婚して広島へ。子どものころから原爆や平和については常に身近なものでした。原爆の日は登校日で慰霊の日。原爆資料館は親や社会科見学で訪れるもの。
それが当たり前だと思っていたんですが、他県はそうでもないと知って驚いたものでした。
私の親は子どもの頃戦時を経験しているので、食べることや物の大切さが身に染みていますが、私は戦後の高度成長の中で育ったので、どうしても親のようにはいかないですね・・・
それでも、話を聞いたり、教育を受けてきたことを、我が子に伝えたり、絵本の読み聞かせなど通して平和あっての現在の日々なんだということを伝えていかないといけないと、毎年この時期には改めて思う日になっています。
そうそう、原爆忌の俳句ですよね・・・
勉強会に間に合わず、リタイア気味のわくしです。すみません。
思いのほうが先走って、なかなかハードルが高い兼題で、難しいです。
締め切りまでには、形にしたいと思います。
maco
がしました
こどものころから なにか特別な日をいう思いでむかえていました
夏休み 宿題帳と向き合いながら テレビの平和記念式典を 見ており
意味もよくわからないまでも黙祷をささげてきました
大人になってからは 次世代に何か伝えなくてはと目の前の子供たちに 自分なりのメッセージを伝えてきました。
そして今…きょうは 勉強会の選評をかきながら自分なりに平和について考える1日を送りました。小さな静かな 何の役にもたたないような1日・・・それでも 平和の礎となることを信じて・・・
maco
がしました